(toroneiから)
(opp03から)
(出典: fosakana、flatmountainから)
430c:
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Twitterは「何者にもなれないぼくら」の最後の砦であり、確実に終わりに近づくことを察知させるもの。その中でぼくは「ウウウウウウウウウウウウウウウウウウウウオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオオアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!!!!!!!!!!!!」しか言えないのかもしれない。またインターネットを探さなきゃいけないのかもしれない。
インターネットはざまーみろを助長する。
— ぼくのインターネットは為す術がありません。 - Web錯誤
>家入さんへ
初めまして
いつも斬新な企画・取り組みを遠くから拝見しております。
その斬新さ、自由奔放さが存分に活かされた企画も多々あったことと思います。
しかし、こと今回のような、学業・学費に関わるサービスに関しては、
「とにかくまずやってみよう」という姿勢だけでは済まないのではないかと思います。
繰り返しますが、本サービス自体の可能性は僕も支持しています。
ただ、お金を扱うサービスとして、現状あまりにも粗い。
早急なアップデートを期待します。
具体的には
・studygiftが支援しようと思う学生像の明確化
(学業・研究を頑張りたいが学費に困っている学生なのか、
就活のために学生の肩書きが必要で学費に困っている学生なのか)
・支援する学生像の「その先」をユーザーが期待出来るような
インターフェースやフォーマットの整備
(研究計画ないし活動計画の提示を学生に条件づける、
応募企画内容に応じて、自己負担金の額を柔軟に変動させるなど)
を提案いたします。
サービスリリース間もなく、坂口さんはネットの各方面で
賛否両論の意見を浴びているようです。
学生を応援する、とおっしゃいますが、
年若い、社会に出る前の学生が、叩かれること覚悟で
表に出て学費支援を要求するというのは、
相応の覚悟と勇気が要る行為です。
今回の件で、学費と引換に、坂口さんが何かかけがえのないものを失ったり、
大きく傷ついたりしてしまう可能性もゼロではありません。
全ては結果論、まずやってみなければ分からない、ということには同意します。
しかしそうであっても、最低限、応援する学生を自分たちが守る、という
姿勢と施策だけは、見せていただきたいと思います。
それこそが、社会人の役目です。
どうかお二人に伝わりますように。
— I’m looking for a new way to fly…: studygift〜学費支援プラットフォーム〜について。お金は怖いということ。限定的支持・批判・提案
Once again we find our club linked to a player in the various gossip columns in the Saturday press. This time around the player we are linked with is Gotoku Sakai The twenty-one year-old is currently on the books of Stuttgart and as well as reporting on interest from us, the tabloid concerned also points out that the defender is also wanted by Bayern Munich and AC Milan. Can anyone tell us anything about the lad? —
Chelsea - Another Full Back Link?
この手の報道のたびに思うことですが元記事をみたい。
以上のことは、全て「要は加減の問題です」ということで(何の解決にもなりませんが)片付けられる話でもあります。 テレビゲームだってコミュニケーションを媒介するものであり、お金もかかるものだったし、トラブルもありました。ネットの「ソーシャル」要素に慣れることも必要ですし、自分で稼いでいない子どものうちに経験する意味はないと考えていますが、お金での失敗を経験することだって「加減」を知るためには意味があるでしょう。
ただ、ソーシャルゲームはこの「加減」を絶望的なまでに教えにくい。 上記のような理論を教えることはできます。しかし、何度も述べたように問題は理論よりも感情の「わかっちゃいるけどやめられない」レベルの、人間のもともと弱いところにあるもので、大人にも難しいような高度な感情のコントロールを子どもに求めるのは無茶でしょう。
ソーシャルゲームのビジネスモデルは「加減」を忘れさせて金を払わせることで成立していると認識していますし、サンクコストの問題は非常に難しく、そんな高いハードルを置く必要はないと思えます。
— 親として思うソーシャルゲームのこと :Heartlogic
普通に見れば、これは感動的な出来事だった。この劇的な数日間は、メディアで盛んに叫ばれた2つの言葉を使えば、いわば「サッカーの共同体」が「一つになった」瞬間だった、ということになる。
僕は長年のサッカーファンで、試合観戦を楽しんでいる。でも同時に、サッカーの試合はイギリス人の悪癖と深く結びついているのではと考えてしまう。サッカーという言葉はつまり、ライバルに対する怒りと憎しみに満ちた怒号や、社会的規範の欠如とほぼ同じ意味を持つのだ。
…
■同情の「お祭り騒ぎ」もエゴ
僕が言いたいのはつまり、イギリス人にとってのサッカーが、自分勝手な熱意を好き放題に爆発させられる「境界域」になっている、ということだ。そこには道徳心のかけらもない。イギリス人の精神の病的な側面がむき出しになり、僕はそれを見るたびイライラする。サッカーの試合に対するイギリス人の激情がいったいどこから生まれているのかは説明することはできないが、激情しているのは間違いない。
ムアンバの件に大いなる希望を見出した人もいる。確かに人々の反応は悪いものではなかったし、試合会場でのファンの態度は尊敬に値する。だけど僕は、今回のムアンバへの同情の洪水は、いつもの激情の裏の側面にすぎないように思える。自らのエゴを満足させるために、感情を野放図にたれ流しただけではないのだろうか。
イギリスのサッカーファンの大半は、ムアンバが倒れるまで彼のことをほとんど知らなかった。だから衝撃的な出来事だったとはいえ、みんなが彼の一件に強い悲しみを感じるなんて、奇妙だし不自然だ。僕から見れば、ある種の同情の「お祭り騒ぎ」のようなものに参加することは、自己中心的な行為に思える。
インターネットにメッセージを寄せたりグラウンドに花を手向けたりして同情の「儀式」に参加するよりも、自分の心の中だけでそっとムアンバに同情する、というほうがよほど健全だろう。
僕はイギリス人であり、サッカーファンでもある。だけどイギリスでサッカーを観戦すると、僕は周囲のイギリス人たちとは距離を感じてしまう。
— サッカーに見るイギリス人の病 | コリン・ジョイス | コラム&ブログ | ニューズウィーク日本版 オフィシャルサイト(ヒーロー大戦ってこういう映画でしょ?見てないけど大体予想付くわ。… on Twitpicから)
411 名前:名無しさん@お腹いっぱい。[sage] 投稿日:2012/04/07(土) 23:28:41.59 ID:CQWKOB750 [2/2]
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(xkakyoxから)